年末にインフルエンザになってしまった娘。完治するまで何処にも行けずに小川村の家で新年を迎えた。
除夜の鐘をつきに行き、隣の神社に詣でた。2日間降り続けた雪が夜道を柔らかく照らしているそんな夜だった。
 しばらくして夫の実家のある横浜に帰省した。4歳の弟が非常に楽しみにしていた「鶴見区の出初め式」に間に合う事が出来た。
いつの頃か彼ははしご車が好きで、絵を描けば消防車ばかり、七夕の短冊には「消防士になりたい」と書き、
着る服も消防車のプリントの物を洗うとすぐ着て、
サンタさんにははしご車のミニカーを貰った。
なのにここ小川には、はしご車が無かった。
本物のはしご車が見れる!しかもはしごの先端のバケットに乗れるらしいと、おばあさんに電話をもらってから
とても楽しみにしていたのだ。
 その日、家から会場になる総持寺の駐車場に歩いて行くと、すでに鮮やかな赤色をした消防車がズラーっと横に
15台程並んでいて、はしご車搭乗の抽選が始まってしまっていた。
 式はお決まりの偉い人の話があり、はしごの上で様々なポーズを決める伝統の技が披露されると、赤い先遣隊の
バイクを先頭に大きなはしご車、見た事も無い白い
クレーンのような柱の伸びる消防車、米軍の消防車、
各分団の小ぶりな消防車と、次から次へと30台以上の
消防車が目の前を過ぎるパレード。
そこに走り出た2台の暴走乗用車が衝突し、レスキューが出動、車の切断を始める。
その後ろでは、火事を消す消防車、並んで水を撒く消防士たちの放水が10本アーチを造り、そこに駐車場を横切るように両側から大型車の放水が始まり、クライマックスを迎えた。
気付けば前方の乗用車の屋根は切断され、怪我人が運び
出され、ストレッチャーにのせられ運ばれて行くところだった。
 弟がどんな風にこれらを見ていたのか知らない。
なぜなら家族の視線はこのショウに釘づけで、ただ感嘆の声ばかりだったのである。
 その後、今大活躍したばかりの消防車がそこにとどまり子供達を消防士さんが抱いて運転席に乗せてくれ一緒に
写真に写ってくれたり、バイクのシートに跨がしてくれたり、クレーンの設置してあるデッキにヘルメットを
かぶして立たせてくれたりと至れり尽くせりの大サービスが待っていた。
教えてもいないのに、敬礼でポーズを決める弟。
(後でおじいさんに手が逆と叱られたが。)
 結局、鶴見区民でもないのに最後までとことん
この出初め式を楽しんでしまった。すっかり上機嫌の弟は今まで見た事も無いような軽い足取りで、勢いで電車にものり、横浜駅まで窓の景色を楽しみ、駅前の人混みに挫けたものの、最寄り駅からは走って家に戻り、快食し、
「ああ、ねむれないー」と叫んだ後、あっけなくいびきをかき始めた。
これが我家のお正月の一大イベントであった。
                    ( by Yoshiko )
 
 
消防車
ヒメジオン日誌
2008年1月10日木曜日