波は実に太っ腹な遊び相手だ。もう疲れたから勘弁してくれとか、飽きたからこのへんで辞めようなどと言わない。子供達を波打ち際に押しやり、引き戻し、時に荒っぽく、あるいは適度に手を抜き、繰り返し繰り返し、押しては引っぱる。8才と5才に1つずつ年を増した姉と弟は、それぞれの浮き輪を付けすごい力で打ち寄せられては砂浜に乗り上げ笑い、引きずられるように戻されては喜び、次のウエーブを息を殺して待ちわび、頭からザブリと洗われると白い泡の中でまた大笑いしと、しつこいほどに飽きを知らない。
父と母の納骨に来た。お寺は海に近い。夏休みの子供達の海水浴と抱き合わせの一泊旅行とした。柿崎の海水浴場は砂の粒が大きく小石に近い。水の中で踏むと足の裏で溶けて行くように崩れる。体に付いたときも払うとぽろぽろ
あっけなく落ちる。公共シャワー室で水が浴びれるのも気に入ってここへ行く事が多い。
浜辺は空いていた。今どきの若者は夏に海に来ない。バイクでツーリングしているライダーの年齢層が高いのと同じ。山に登るのは高齢者ばかりだ。野外で遊ばず、北海道ツーリングなんかせず、キャンプもしない。
さすれば私達は古き良き時代を生きて来たのだ。
浅瀬でプール用のゴーグルを付けて水の中をのぞいていた姉が
「魚がいっぱいいる!」と喜んだ。弟も負けじと顔を突っ込んだ。父さんの足元に小魚が群れをなして泳いでいた。
「貝がある。」姉が潜って取ったのは生きたはまぐり。
「これはなんだ?」と次に拾い上げたのはシュノーケル付ゴーグル。これには父さんが喜んだ。父さんはますます自由に泳ぎ、浮き輪付の子供達とテトラポットを目指した。沖から吹く風に母さん弟組はなかなか進まない。
姉は最近スイミングスクールで習得した平泳ぎの手と足を使い、とうにテトラポットにたどり着きその間に顔を突っ込んでいる。弟の浮き輪を持ち手が使え無い母は
「弟よ。母さんも頑張ったけどあそこにはたどり着けそうも無い。来年は、自力で行けるように強くなれ。」と諦めを告げると彼は神妙に「うん。」と返事をした。
その時父さんが迎えに来た。そして弟の浮き輪をバンと突き放しては泳ぎ、また突き放しては泳ぐという荒手な方法で連れて行った。
テトラポットの間には大きな魚がいた。姉は夢中で見つづけ、弟はテトラポットの上で身を硬くしながらも,
しっかりその魚を見つける事が出来た。皆満足だった。
浜辺で貝を拾った。新潟市の海育ちの私にとっては珍しい小さな巻貝が砂浜でいくらも拾えた。そしてこの貝拾いで弟以外みな背中の日焼けで痛くて辛い思いをするはめになる。
彼は保育園のプールで日々自らの皮を鍛えていたのだ。
後に姉はこの時集めた貝を紙粘土に張ってペン立てを作った。思い出が形になって残るのは好ましい事だ。
母さんの「海の見えるレストランで魚でも食べるか。」と言う強気な発言に
「そんな、太っ腹な...」と父さんは一瞬ひるんだが海辺のホテルのレストランで海鮮ちらし寿司を食べた。
魚釣りが趣味だった私の父。取れたてのキスの刺身なんかを食べさせてくれた。思えば贅沢な子供時代であった。
そしてここで本当に久しぶりにおいしい魚をいただいた。すると
「そうだろう。魚はうまいだろう!」と亡き父がうなずいている姿が見えた。
ネットで予約してあったNグランドホテルに着いて驚いた。予約したツインルームが手違いで空きが無く
「スィートをお使いください。」と鍵を渡された。
「お子さんと添い寝するのも楽だと思います。」と支配人が付け加えた。その部屋はダブルベットが2つに、応接セットにシャンデリアが付いてリッチだった事は言うまでもない。
知らぬは子供達ばかり。相変わらずのうるささに「静かに」と気を使うのは親ばかり。
実際次の日の会計が怖かった。でも予定通りのツインルームの分の請求で助かった。
草葉の陰でじい様が
「貧乏人め。孫をいい部屋に泊めてやれ。金は俺が持
つ。」なんて太っ腹な事を言っているに違いなかった。
そしてあくる日の2008年8月8日 父と母は共に土にかえっていった。 ( by Yoshiko )