赤いカナディアンカヌー
 
 4ヶ月ヒメジオン日誌を休んでいる間に、私家は赤いカナディアンカヌーを買った。
 5月に前回『カヌー構想』を書き終えてから、私は連日の長編小説の読み過ぎでドライアイになり、日に8回の目薬を差し、本とパソコンを断った。すると日々はサラリと流れ、いつの間にか秋。
泰木房はどうしたんだろうと、メールをくれた人、御心配なく我家は着々と日常と日常からの脱却を繰り返し、したたかに生きてます。
 梅雨のあけぬ6月、豊科のモンベルショップに再度赴いた私達は
「これ、ください。」と展示品のカヌーを指差した。お金を払うと車に乗せた。その間に購入ポイントが登録されたのを確認してから
「これもください。」とポイントに現金を添えライフジャケットも購入。実に買う時は潔い。父さんはここまでに
リサーチとそれに伴う備品の用意をして来た。そして私の半年分のバイト代が消えた。
 初めてカヌーを浮かべた印象は
「けっこう安定しない乗り物、弟と一緒は怖いぞ。」
その日、私は軽はずみな弟の動きに目くじらを立て続けた。
 そこは静かな湖だ。透明度は全国二位。深さは県で一位。モーターボートは禁止されている。
犬神家の一族のロケ地で、そのせいか出くわす人はなぜか白人が圧倒的に多い。その人々は泳いでいたり、持参のイスで本を読んでいたり、親子でカヌーを楽しんでいたり。のんびりと美しい自然の中に身を置いている。
そして彼らは、雪かき用の子供スコップで水をかくふざけた私達にもきちんと挨拶をくれる。
実はパドルは一本だけ購入し、父さんが家業をもって、増殖を図っているのだが、子供の分までは未だに作れないでいるのだ。
 日曜日晴れていれば、朝10時頃父さんの工房でカヌーを積む。30分後には湖に着き、カヌーを大人が半分ずつ持って岸に運ぶ。皆乗り込めば透明な緑の水の中を覗き見ながら、岸辺伝いに進む。
時々魚がライズし水の輪を作り、鳥が頭上を飛び去る。対岸に2両編成の電車の音が響き去るとまた静けさが戻り、私達の掻き混ぜる水の音と、たわい無いおしゃべりと、些細な事を言い合う声が響く。怒った弟もここでひっくり返って駄々は捏ねられない。家族で水の上をそーっと進む様は、穏やかな家族関係を保つ訓練の様だといつも思う。
 岸に上がるとアフリカのジャンベを練習。和太鼓歴3年の娘のようには叩けないけど、地道な努力を積んでいる。湖に響く低音と甲高い音がとても怪しい。
先日は白人の親子連れのカヌーがわざわざUターンして戻って来た。そして太鼓を叩くジェスチャーをし、うなずくと去った。きっと溢れる自然と、辺りにひびく太鼓の怪しいとり合わせがシュールだったのだ。
 2時間くらいでもう満足。カヌーの撤収にはちょっと力がいるけど、家に戻ってもまだ日は高い。此の気軽さ。何事も無かったように工房にカヌーをしまい、家に戻る。そしてお風呂、家でのご飯。
 今ここに住んで、今の年齢の子供と、今しか出来ない事をしよう。そのコンセプトは間違っていない気がするこの頃。                   ( by Yoshiko )
 
 
 
 
ヒメジオン日誌
2009年9月15日火曜日