2008年の年末は、年内約束のお客様の家への納品と家族の横浜帰省を一緒に強行。
後部座席を外して積み込まれた家具の隙間に、段ボール箱を置いて作った即席のシートに子供を2人載せて出発。
これもお疲れ気味の父さんの労力を減らすため、地球の
温暖化防止のため、経費削減のため。幸い今回の納品先は
お子さんのいる家庭で、非常識極まりない、子ずれ納品に理解を示していただけそうだったので、それに甘えさせてもらう。
そんな訳で早々と夫の実家に帰省してしまった私達。
帰省前日にかろうじてプリントして来た年賀状に触れもせず、関東の快晴の中、毎日散歩、買物と出かけてしまう。
「東京タワーに行きたい。」と姉が言った。じゃあ電車に乗って行ってみようと都心に向かう。
以前よく行った神田のビルの谷間を歩いた。姉は父さんと手をつないでポニーテールに結んだ髪を弾ませて嬉しそうに先を行き、5歳の弟はビルに備え付けられている、真鍮やステンレスのピカピカ光る給水栓を見つけ、教えもしないのに用途を察し、ビルの火災をいかにはしご車が消し止めるのかを、一人で想像し、解説し、ぶつぶつ言いつつ勝手に歩く。そして時々、小川村じゃないんだぞ。車に気をつけろと叱られた。
ちなみに私達の住む小川村には、はしご車がないのだ。それゆえ消防車に執着を持つ、弟がいかにビル火災を消火する消防車というものに就いて興味津々なのか解っていただけると思う。
オノボリサンはこんな事でも楽しめる。
地下鉄から地上に出るのに既に息が切れた。芝公園を抜けて東京タワーにどんどん近づくうちに皆コートを脱ぎ捨て、フリースを投げ、山のような衣服が荷物になった。汗ばんでたどり着いたタワーにはおびただしい人の群れ。狂ったように暑い暖房が待っていた。一度は諦めようと思った。でもこのまま引き返せば二度とは来まい。
荷物は高所恐怖症の母さんが引き受けた。引率は父さんの役となった。1時間並んでやっとエレベーターにたどり着いたと言う。登ったタワーからの景色はたいした事なかったけど、床がガラス張りの所があって怖くて弟は立つ事が出来なかったそうだ。帰りも混んでたから、階段を下りて来たのだが、壁は網張りで風が通り抜け気持ちよかった。でもここでも弟は腰が引けて怖がっていた。高所恐怖症は母さんに似たのか。
と、喜んだこども達が帰り一気にしゃべりまくった。待ったかいあり、つき合ったかいあり。
駅に向かう道から振り返ると、タワーの後ろの空が赤く夕日で染まっていた。大人はこの時間からタワーをめざす。そして子供は帰路につく。横浜育ちの父さんが
「初めて行った。」50年目の東京タワー。
よく歩きその夜のビールを美味しくさせた。
おもいっきり観光。あー、とうきょう散歩。( by Yoshiko )